
北海道旅客鉄道株式会社 釧路支社
古瀬信号場K46北海道白糠郡白糠町和天別1856番地5号
信号場(元音別駅管理の無人駅)
※令和2(2020)年3月13日で営業終了、閉駅に伴い信号場となりました。
根室線の時刻表を眺めていると稲士別駅(既閉駅)と並んで通過列車が多く設定されていた不思議な駅があることに気付きます。周囲に宅地は殆ど無く、停車列車は行き違いがある列車が殆ど。行き違いがない列車はそのまま通過してしまう…そんな駅でした。
令和2(2020)年2月訪問時の様子です

古瀬駅といえばこの建物。駅前の道は未舗装ながら白糠町道なので立派な公道です。2003年に訪問した際は雪で溢れていましたが、昨今の温暖化と今回訪問時の記録的な暖冬傾向のお陰で側溝が確認できます。

2003年訪問時は渡り板のみでしたが、2020年訪問時には簡素なパイプながら柵が設けられていて、安全対策が施されています。公道の道路と道路外を示すスノーポールと呼ばれる棒状の標識がないと冬季は足を踏み外してしまう恐れがありますね。

当駅1番線ホームに隣接している建物はリフォームされていて、まるで新築のような雰囲気ですが、、、

建物の玄関に貼付されている建物財産標によれば1954(昭和29)年6月9日竣工です。後述する2003年訪問時の建物がその後「新築そっくりさん」的な劇的なリフォームを遂げているということがわかりますが、この財産標にはこの建物が「本屋1号」となっていて、帳簿上は駅舎として扱われていることに驚きます。といっても駅舎=旅客の利便性のためのものではないと考えれば「なるほど」と思ってしまいます。
ちなみにこの1954年は5月5日にデーブ・スペクター氏が、6月19日には北海道内プロ野球中継でおなじみの「東海の龍」こと大宮瀧男氏(HBC野球解説者)がお生まれになっていて、当駅は彼らと同い年というとどれだけ古いかお分かりいただけるかと。

建物の側面には電気用ケーブル類が張り付いていますが、リフォーム以前は数本あったはずが1本にまとめられています。不要なケーブルは撤去したのでしょうかねぇ。

建物を背中に公道方向を見た図です。駅といっても周囲は原生林しかありません。

当駅の周囲はこれといって住宅や商業施設があるわけではなく、少し歩いた先にある数件の酪農家さんのお宅がありまるが、当駅の利用者ではないようです。
当駅は1954年に設置された古瀬信号場の係員とその家族が利用するために設けられたようです。文献によればその信号場係員が居住する官舎があったらしいのですが、痕跡を見つけることはできません(まさかあの建屋がそれなのか?)。

窓をクローズアップして撮影すると、二重窓化されています。さらに寒さを凌ぐためなのか、一部窓にはビニールとみられるもので覆われていることがわかります。

1番線ホームは建屋脇にある階段を使いホームへアクセスします。2000年代初頭までは旅客用の簡素な待合室があったようですが、風雪に耐えられず崩壊寸前であったことから撤去され、代替の待合室は設けられていません。

1番線ホームから釧路方を見た図です。板張りホームが「仮乗降場」で合った歴史を物語っています。

ホーム上に掲げられている時刻表です。
6:50下り釧路行=2番線上りが3本(帯広行2本+芽室行1本)、下りが4本(すべて釧路行)が停車します。番線別だと1番線が3本(上り1,下り2)、2番線が4本(上下2本ずつ)となっていました。
7:39下り釧路行=1番線
14:58下り釧路行=1番線
14:58上り帯広行=2番線
16:10上り芽室行=1番線
17:16下り釧路行=2番線(下り最終列車)
18:14上り帯広行=2番線(上り最終列車)

駅なので運賃表も掲示されていましたが、その内容はだいぶ端折られていました。下り方向は新大楽毛駅と新富士駅の掲載がありません。また、上り方向は音別駅の次の掲載は厚内駅でも浦幌駅でもなくいきなり池田駅でした。なお釧路駅までは750円となっていました。

1番線ホームの釧路駅方にはスロープがあり、2番線側の構内踏切への短絡通路なのかなと思いきや、件の公道に出ます。まぁショートカットしているという意味では役に立っているのかもしれませんが。。。

そのスロープの下には消え掛かっていますが「左右確認」と書かれた板標識があります。当駅が役割を終えようとしているのと同じように文字も消え失せようとしていました。

建屋入り口付近から少し離れた個所に2番線向けの出入口というべき構内踏切がありました。

こんな図が示されていますが、これも印刷が消えつつあり、あまり役に立っているとは思えませんでした。

2番線ホームへ向かう構内踏切を右に見て釧路駅方向を見た図ですが、やはり駅前風情ではありません。

2番線から見た構内踏切です。

2番線の釧路方側から滝川方を見た図です。長大編成の列車行き違いにも対応できる長い有効長を誇る構内です。

2番線側の駅の外です。こちらは自動車の行き来がそれほど多くないようで、除雪はそれほど行われていません。

前述のとおり、当駅は1番線より2番線の停車列車が多かったです。

2番線から釧路方を見た図です。


そんな当駅は単線上の2面2線です。
平成15(2003)年3月訪問時の様子です

駅番号付与以前の駅名標です。

公道から敷地に入る橋と駅建物、そして奥に1番線ホームが見える構図です。2003年訪問時は雪に覆われていたためわかりませんが、スノーポールと除雪スコップが見える付近は水路が通っていて橋になっていました。

少し離れて眺めるとこんな感じ。一見すると列車待ちが出来る「待合室」なのかなと思いきや、これは信号建屋であって、旅客向け待合室等ではありませんでした。

2番線ホームから駅全体を眺めます。駅の設備として屋根付きの建物は前述の信号建屋(係員休憩所?)のみで、我々旅客が列車待ちをするためのスペースは一切ありません。といっても周囲は雑木林ぐらいしかなく、列車待ちをするような旅客は「いわゆる鉄道マニア」しかいないのではないでしょうか。
なお、旅客用の待合スペースはあるにはあったらしいですが、蹴飛ばせば壊れてしまうようなつくりだったようで、積雪に耐えられないという理由で2002年に撤去さています。

2003年3月訪問時の列車時刻表…上下7本しか停車しませんでした。

消費税5パーセント時代の運賃表です。問い合わせ先として音別駅の電話番号が掲載されていました。白糠駅が社員配置の直営駅ではなくなったタイミングでシールで番号を上書きする措置がとられていました。消費税率が8パーセント計算の釧路駅までの運賃は640円でした。

当駅は信号場として1954年に開設され、1971年に無人化されています。当駅の近隣には鉄道職員官舎あって、北海道で多く見られた「仮乗降場」という体裁で細々と営業をしていました。その時のメインターゲットは官舎在住の家族。しかしその官舎が影も形も消えてなくなった現在、当駅の利用者は殆ど居ないとみられますが、1987年にJR化とともに仮乗降場から正式な「駅」へ格上げされて現在に至っています。

信号場建屋は鉄筋コンクリートと思われる構造ですが、寒さを凌ぐ目的で外壁に木製の板を貼り付けているから驚きます。


構内は単線上の2面2線。信号場建屋側の1番線がメインで使われ、2番線は釧路行き最終列車(18時台)が使用しています。
<当信号場→白糠駅間の踏切施設>隣の駅@根室線
・(227k300m)当信号場274.8km
・(未確認)(詳細不明)踏切
・(279k807m)河原踏切
・(未確認)(詳細不明)踏切
・(282k345m)学園踏切
・(未確認)(詳細不明)踏切
・(283k115m)役場踏切
・(283k590m)白糠駅281.1km
※太字のリンク先は踏切施設調査の姉妹サイトへ飛びます
上り:音別駅K459.7km
下り:白糠駅K476.3km
※訪問日:2003年3月2日,2020年2月15日