北海道旅客鉄道株式会社 鉄道事業本部
楓信号場■北海道夕張市楓
※平成16(2004)年3月12日に閉駅→営業を終了、信号場となりました。
駅として営業していたころ、1日1往復に飽きたりず、貪欲に本数削減に励む運行当局はなんと、日曜定休を宣言(祝日は運転される)。更に2004年3月ダイヤ改正でついに駅廃止。2004年3月12日の営業最終日の乗降客数が1年の利用客数をはるかに上回る400人を数えたそうです。
当駅を発着し、客扱いを行う列車は早朝に新夕張駅を出て当駅にやってきて、約10分後に新夕張駅へ折り返していく列車のみでした。
両隣に新夕張と占冠という駅はありましたが、当駅から占冠駅まで直接列車で行くことが出来ず、どうしても行きたい場合はいったん新夕張駅に出て、占冠駅に停車する列車に折り返し乗車するしかありませんでした。といってもそのような行程で列車に乗る需要が無かったのでしょうけど。
※当駅から占冠駅へ向かう旅客のための当駅⇔新夕張駅間運賃無料特例はありませんでした。
当駅を発着する列車は本線上ではなく、側線上の3番線に乗り入れていました。なので3番線の駅名標の左側には駅名が記載されていません。
結果的に鉄道当局が利用しにくいダイヤを組んで乗客の利用を拒んでいたと取られても仕方がありません。
両隣に新夕張と占冠という駅はありましたが、当駅から占冠駅まで直接列車で行くことが出来ず、どうしても行きたい場合はいったん新夕張駅に出て、占冠駅に停車する列車に折り返し乗車するしかありませんでした。といってもそのような行程で列車に乗る需要が無かったのでしょうけど。
※当駅から占冠駅へ向かう旅客のための当駅⇔新夕張駅間運賃無料特例はありませんでした。
当駅を発着する列車は本線上ではなく、側線上の3番線に乗り入れていました。なので3番線の駅名標の左側には駅名が記載されていません。
結果的に鉄道当局が利用しにくいダイヤを組んで乗客の利用を拒んでいたと取られても仕方がありません。
といっても当駅前には夕鉄バスの楓駅前バス停があり、清水沢駅前まで30分610円。
夕鉄バスのルートは駅からだけでは分かりにくい楓の街の本当の姿を見ることができ、とても興味深いです。
▼2003年11月6日の様子
ところで当駅は前述の通り本線と側線がありますが、客扱いを行う1往復が側線に入る以外の列車は本線上を通過してしまいます。また、停車も単線上の列車行き違いを行うだけで、扉を開けて客扱いを粉うわけではありませんでした。にもかかわらずご丁寧に本線上にもプラットホームが設置されていました。しかも上下ともに。
このホームにはさらにご丁寧なことに1番線・2番線と番線番号が付与されていました。↑の画像の左側は駅待合室の脇から簡単に出入りが出来ましたが、右側の2番線は簡単に出入りが出来ません。どうやって入ったか…駅前の盛り土から跨線橋が出ていて、線路の向こう側へ渡ったのちにシェルターの入り口のような2番線への階段を下ってホームへ行くことが出来たのです。
とても駅の入り口には見えません。客扱いをするわけではないのでホスピタリティを感じさせる必要が無いのでしょうが。。。どう見ても廃墟にしか見えません。
2004年3月12日、営業最終日の様子です。
どういうわけか駅名標が架けかえられています。当ページの上部に掲載している駅名標画像と見比べてみてください。フォントが異なっています。
普段は早朝の1往復だけでしたが、最終日はさらに臨時列車が1往復設定され、計2往復でした。楓駅にこれだけのお客がいるのを目の当たりにしたのは最初で最後なのは言うまでもありません。
当駅が廃止されても全く影響が無い列車たちは何事もなかったかのように平然と駅を通過して行きます。
営業最終日の楓発最終列車で当駅から新夕張駅に向かい、再び自動車で当駅に戻ってきたとき、こんなシーンに遭遇出来ました。
駅名標の撤去作業です。これはなかなか見ることができません。
↓
↓
↓
↓
↓
これで名実ともに駅としての役割を終えたという認識を持った瞬間でした。
廃止後、楓信号場はこんな感じです。
2005年12月7日に再訪してみました。
駅舎はきれいさっぱり撤去されていますが、旧3番線のホームはそのまま残されています。また3番線の出発信号も生きているようです。
本線の様子は駅そのものです。石勝線の信号場に見られる駅名標を模した「信号場標」は楓信号場にはありませんでした。
2番線への階段は閉鎖されていました。
上り:新夕張駅K205.7km
下り:オサワ🚦7.0km→東オサワ🚦10.9km→清風山🚦18.6km→占冠駅K2128.6km
※訪問日:1994年3月,2001年11月21日,2003年11月6日.2004年3月12日,2005年12月7日
夕鉄バスのルートは駅からだけでは分かりにくい楓の街の本当の姿を見ることができ、とても興味深いです。
▼2003年11月6日の様子
ところで当駅は前述の通り本線と側線がありますが、客扱いを行う1往復が側線に入る以外の列車は本線上を通過してしまいます。また、停車も単線上の列車行き違いを行うだけで、扉を開けて客扱いを粉うわけではありませんでした。にもかかわらずご丁寧に本線上にもプラットホームが設置されていました。しかも上下ともに。
このホームにはさらにご丁寧なことに1番線・2番線と番線番号が付与されていました。↑の画像の左側は駅待合室の脇から簡単に出入りが出来ましたが、右側の2番線は簡単に出入りが出来ません。どうやって入ったか…駅前の盛り土から跨線橋が出ていて、線路の向こう側へ渡ったのちにシェルターの入り口のような2番線への階段を下ってホームへ行くことが出来たのです。
とても駅の入り口には見えません。客扱いをするわけではないのでホスピタリティを感じさせる必要が無いのでしょうが。。。どう見ても廃墟にしか見えません。
2004年3月12日、営業最終日の様子です。
どういうわけか駅名標が架けかえられています。当ページの上部に掲載している駅名標画像と見比べてみてください。フォントが異なっています。
普段は早朝の1往復だけでしたが、最終日はさらに臨時列車が1往復設定され、計2往復でした。楓駅にこれだけのお客がいるのを目の当たりにしたのは最初で最後なのは言うまでもありません。
当駅が廃止されても全く影響が無い列車たちは何事もなかったかのように平然と駅を通過して行きます。
営業最終日の楓発最終列車で当駅から新夕張駅に向かい、再び自動車で当駅に戻ってきたとき、こんなシーンに遭遇出来ました。
駅名標の撤去作業です。これはなかなか見ることができません。
↓
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これで名実ともに駅としての役割を終えたという認識を持った瞬間でした。
廃止後、楓信号場はこんな感じです。
2005年12月7日に再訪してみました。
駅舎はきれいさっぱり撤去されていますが、旧3番線のホームはそのまま残されています。また3番線の出発信号も生きているようです。
本線の様子は駅そのものです。石勝線の信号場に見られる駅名標を模した「信号場標」は楓信号場にはありませんでした。
2番線への階段は閉鎖されていました。
<当信号場→東オサワ信号場間の踏切施設>隣の駅@石勝線
・(48k680m)当信号場48.7km
・この区間に踏切はありません。
・(55k690m)オサワ信号場55.7km
上り:新夕張駅K205.7km
下り:オサワ🚦7.0km→東オサワ🚦10.9km→清風山🚦18.6km→占冠駅K2128.6km
※訪問日:1994年3月,2001年11月21日,2003年11月6日.2004年3月12日,2005年12月7日