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北海道旅客鉄道株式会社 旭川支社
金華信号場A54北海道北海道北見市留辺蘂町金華
信号場(元北見駅管理の無人駅)
※平成28(2016)年3月25日で営業終了、翌26日より信号場となっています。

 駅時代の2003年訪問時の様子です 
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 常紋峠の北見寄り側の駅でした。石北線の北見方面側からやってくる列車は8本(客扱いを行わない列車は除く)であったのに対し、遠軽・上川方面側の列車は5本。3本が当駅で北見方面へ折り返していました(2015年7月現在)。

 当駅廃止後も信号場として行き違い設備は健在。北見方面からやってきた西留辺蘂行き列車は西留辺蘂駅では折り返さず、一旦当信号場まで回送されて折り返す運用になっています。

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 数件の民家は確認できましたが、状態は画像の通りで廃屋が目立ちます。産み立ての卵屋さんやありましたが(2003年当時)…。

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 国道242号から駅を眺めた様子ですが、一応居住がある民家もあるっぽい様子です。

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 駅前にはおよそ判別がしづらい観光案内図があります。温根湯温泉観光協会と書いてありますが、当駅の周囲も温根湯のお風呂が楽しめるスポットがあるのかどうかは未確認です。

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 観光スポットではありませんが、常紋トンネル建設時に殉職した作業員を慰霊する碑が建立されている場所が近いそうです…が、この看板だけではどの方角へ300メートル進めば良いのか不明瞭なのが。。。(後日訪問しました・後述します)。

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 構内のホーム配置はJR渋谷駅のようなホームが上下で分かれている構造になっています。

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 ホームはそれ程長くありませんが、長大編成の列車が行き違いを行うことに対応しています。

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 構内は単線上の2面2線。普通列車のみが停車しますが、常紋峠を前にして列車行き違いも意外と多く行われていました。

 令和元(2019)年10月に再訪しました 
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 2016年に駅営業を廃止している信号場です。といっても保線(除雪)の係員詰所(休憩処)として旧駅舎が活用されているようで、建物はそのまま残っています。といっても待合室への出入口であった部分は板で塞がれていて、「金華駅」の看板も取り外されています。

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 周囲は数件の建物は見えますが、居住確認まではできるわけもなく、かといって雰囲気からして人の息吹は殆ど感じられず、常紋峠にある人口希薄遅滞なんだなという印象です。

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 建物の線路側に回ると旧待合室部分のドアはこちらも板で塞がれています。

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 この看板は撤去されずにそのまま掲げられていました。

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 建物財産標を発見。当駅は1914(大正3)年に奔無加(ぽんむか)駅として開業していて、1951(昭和26)年に金華駅へ改称しています。この建物は駅名が金華へ変更される以前からのものということになります。

 なお、旧名称の「奔無加」は国道から当信号場までの道路の途中に横断する河川の名称にその名前を残しています。

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 ギリギリ敷地に掛からない付近から構内を覗き見た様子です。プラットホームは撤去されています。

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 また、敷地には交換した枕木が留置されていて、資材置き場になっています。

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 こちらは乗車中の普通列車から見た当信号場の様子です。ちょうど特急列車の行き違いを行うところでした。

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 旧駅舎から構内を見た図です。

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 常紋トンネルの作業従事者慰霊碑は国道沿いのすぐの場所にあります。

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 昭和55年建立とそれほど古くなく、また定期的に手入れがされていて綺麗です。

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 ここは金華小学校の跡地なんだそうです。

隣の駅@石北線
上り:生田原駅A5315.0km
下り:西留辺蘂駅A553.5km

※訪問日:2003年3月3日,2019年10月16日